アテネの民主政完成のプロセスを論ぜよ[世界史3]

ペイシストラトスらの僭主政治の反省を踏まえ、独裁者が出ないよう紀元前508年クレイステネスが陶片追放の制度を設けた。
その後、紀元前500年ペルシア戦争がはじまり、マラトンの戦い・サラミスの海戦などで平民が活躍し発言権を増していった。
アテネはペルシアの再度の侵攻に備えたデロス同盟の盟主となり、民会での合議による直接民主政が確立し、ペリクレスによる黄金時代を迎える。
但し、アテネの直接民主政は女性や奴隷に参政権を認めないなどの問題も孕んでいた。

(注)この記事は歴史好きの答案。模範解答かは不明。間違いがあるかも。

name
email
url
comment

NEW ENTRIES

2026年イグ・ノーベル賞 驚きの研究あれこれ! 「お金持ちは本当にマナーが悪いのか?」(09.09)
【婚活】出会いの選択肢が広がる時代!自分に合った出会い方とは…(09.05)
おすすめ本!限りある時間の使い方 人生は「4000週間」あなたはどう使う?(09.03)
外国人の出入国と治安維持!入管(出入国在留管理庁)の仕事とは…(08.30)
『旧邸めぐり』公開されている元総理の旧邸(08.26)
人生の節目で求められる「保証人」現代社会に欠かせない保証人制度とは…(08.24)
おすすめ本!欲望の見つけ方 お金・恋愛・キャリア(08.19)
夏だからこそ!絶景を眺めながらの心地よい納涼旅(08.16)
全国各地の「ちょっとユニークな」展覧会(08.12)
AI時代だからこそ見えてきた!2026年!夏のSNSトレンド…(08.08)

RECENT COMMENTS

ARCHIVES

LINKS

RSS

RSS